カルセドの秘密

カルセドの秘密

リハビリエルフ

「……こんなもんか」

 ニンゲンの町に来て初めて買った私物の手鏡で、獣耳が見えなくなっていることを確認する。クオンツの里にいたころには考えもしなかった習慣だ。

 俺は自分用にあてがわれた個室で、人前に出る前の準備をしていた。ニンゲンの中では嫌でも目立つクオンツとしての外見的特徴、頭頂部に生えた獣のような耳を隠すためだ。小さな袋に詰まった粉。適当な油に混ぜて耳に塗り込むことで、「そこに存在しないかのように」見せることができる。

 他のニンゲンがそうしているように堂々と、手洗い場に向かう。この時間はいつものことだが、同僚は誰一人いない。炭鉱都市の朝は早い、だがそれはニンゲン基準でのことだ。クオンツ族である俺ーーカルセドにとって、この程度の早起きは苦ではなかった。

 クオンツ族は過去に民族単位で差別されてきた関係で、ニンゲンを嫌っている。炭鉱都市で暮らして慣れてきたとはいえ、俺の中にもまだ、ニンゲンを嫌う気持ちが残っていた。

 突然、背中を叩かれ、蛇口の下に頭を突っ込んでしまった。

「いつも通り早起きだなカルセド! 今日も一日頼むぞ!」

 顔を洗っていた俺の背中を叩いたのは、「親方」と呼ばれる髭面の中年男だった。俺と同じように顔を洗いにきたらしい。

「早起きなのは親方も同じだろ」

 言い返すと豪快に笑いながら手早く顔を洗い始めた。

 ……クオンツはニンゲンを嫌っているが、ニンゲン全体を嫌うようにはできていないらしい。背中を叩かれたというのに、俺の中に親方を嫌う気持ちは湧かないからだ。親方の手のひらには、クオンツである(ことを隠しているとはいえ)俺に対する敵意も害意も感じられない。純粋に対等な相手として、親しみを込めて触れてきたことがわかった。

 里のみんなと暮らしていた頃を思い出し、急に瞼が熱くなった。顔に水をかけなおした。

「カルセドも言うようになったな……あん?」

 顔と手の水気を切った親方が、俺を怪訝そうな目で見ているのがわかった。顔を上げる。親方が俺をーーいや、俺の頭を見ていた。反射的に手をやる。頭が濡れているのがわかった。

「俺っ、部屋に戻ります!」

 親方に背を向けて走り出そうとしたが、片腕を掴まれていた。肥満体に見えても炭鉱での作業で鍛えられた身体だった。俺はなすすべもなく片腕を掴まれたまま、親方の導くままに歩を進めることになった。

「ここは……?」

「ここなら誰も盗み聞きはできない。カルセド……できることなら俺に話しちゃあくれないか」

 こうして通された親方の部屋の中で、俺は親方にすべてを話した。クオンツ族であること。石化体質と、その治療法のこと。クオンツであることを隠して、ニンゲンの炭鉱で働いていた理由を、すべて。

「もう泣くな、カルセド。……その耳は隠せるんだな?」

「俺を……追い出さないんですか? クオンツなのに……」

「言葉が通じて話が分かるってのに、種族が違うってだけで差別するだなんて不当だと思わねえか?」

「でも俺の、俺たちの目的は……」

「ここで採れる石で世界の”三大厄災”が治せるってなら最高じゃねえか。病気を治してえなんて人間もクオンツ?も同じだろうが。だろ?」

「親方……」

「もともとここにゃ手が足りてないんだ。目的があって熱心に働いてくれるなら、人間だろうがクオンツだろうが助かるってもんさ」

「親方……ありがとう……ございます……!」

「そろそろ皆が起きてくるな、そこのタオルでも巻いて誤魔化しとけ」

「……はい!」

 親方は聞かせる気はなかったかもしれない。だが、扉を閉める前には確かにこう呟くのが聞こえた。

「いずれは、隠さずに働けるといいな」


おわりなの

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